日本からタイに来た赴任者がまずショックを受けるのが、日本では考えられない頻度で部下が辞めてしまうということでしょう。私の場合にはこの洗礼を、シンガポール赴任時代に受けることになりました。
私がシンガポールにある当該部門の責任者として赴任してから数ヶ月が過ぎたある日、部署では長いほうである4年の職歴のあった女性の部下が転職すると言ってきました。私は最も頼りにしていた部下の転職の申し出にショックを受けました。「彼女は何が不満だったのだろう」「私のマネジメントのどこがいけなかったのか」
しかしそのすぐあとに、彼女から「次の土曜日に家でバーベキューパーティーをやるからぜひ来て欲しい」というお誘いを受けたのです。私は困惑しました。彼女は私のことを気に入らないから転職するのではなかったのか?パーティーに来て欲しいとはどういうことなのだろう?そしてパーティーに行ってみると、彼女が他に誘っていたメンバーは、親しい同僚たちの他に、すでに過去に会社を辞めている元の同僚たちなど10人ほどが集まっていました。お互いの近況や仕事の話などで楽しく過ごし、お酒が入ったところで私は思い切って聞いてみました。「私のやり方に悪いところがあったのなら、是非指摘して欲しい」と。彼女の答えは意外なものでした。「あなたのマネジメントや会社の働きやすさなど、今の仕事に不満はありません。居心地が良かったために、この会社にはつい4年も勤めてしまいました。そろそろ転職しなくちゃと思っていたところに、いい話が来たので乗っただけですよ」ということだったのです。
その時わかったのは、彼女の転職はライバル企業からの引き抜きであること、給料は今の5割増しになること、シンガポール人にとっては転職エージェント2−3社に常に登録してあるのは当たり前で、彼女のように「できる」人たちは新しい仕事のオファーを常に受けていること、そして2年に一度は転職「すべき」だということを「当たり前のこと」と考えているということでした。私がそれまで持っていた「当たり前」と、シンガポール人の「当たり前」の大きな違いに驚きました。日本人である私にとっては、転職するということは、今の職場によほどの不満があり止むに止まれずのことのはずということでしたが、全くそうではなかったのです。そしてその話を聞いて、ここに呼ばれているのがどういうメンバーなのかを理解しました。それは、彼女の将来に向けた人的ネットワーク維持のためのものだったのです。自分と仲の良いメンバーと、会社を辞めた後にも定期的に集まることで人脈をつなげておき、将来の自分のキャリアに役立てようということなのです。これはそれから数年が経ったあとの話になりますが、彼女はそのライバル会社から、欧州のラグジュアリーブランドのマーケティングマネジャーに転職しました。その時に、彼女は私の担当していた商品とのプロモーションの話をするなど、彼女が転職してくれたおかげで広がったネットワークが役に立ったのです。さらにその後、彼女は世界最高級自動車メーカーに転職し、今でもFACEBOOKでお互いの近況を確認しあっています。
そのことがあってから、転職に対する私の中の「当たり前」は大きく変化しました。同じ会社、特に日系企業に勤めていたのでは、毎年の昇給はせいぜい3−5%程度。係長⇨課長⇨部長といったプロモーションも、早くても3年に一度程度になります。その上、一つの会社で経験できることは限られています。しかし自分の能力やキャリアに自信があれば、転職すれば給料20%アップ、うまくすれば50%アップが狙えるのです。なので彼らは常に、将来の自分の目標に近づくには、次にどんな会社でどのようなポジションにつくべきかというキャリアプランを真剣に考えて実践しています。それと比べて日本人は、自分のキャリアプランを会社まかせにしてしまう人が多数です。そんな日本人は彼らから見ると、向上心を持たず、大事な自分の人生設計すら自分で考えない、信じられない人たちに見えることでしょう。
タイ人は、転職を前提としたキャリアプランを持っている
そもそも、年功序列を前提とした終身雇用制度というのは、世界でも日本だけに存在する特殊な雇用慣行ですので、世界の中で日本だけが特殊なのです。日本人以外の人たちにとっては「キャリアは自分で作りあげていく」ことは「当たり前」なのです。
世界的に見ると、アメリカ人はこういった志向が最も強い人たちです。それは、アメリカという国が、そもそも新天地での旗揚げを目指した移民によって作られた国であることも関係しているように思えます。一つのところに留まらない気質があるのだと思います。それは、カナダやオーストラリアといった他の移民の国でも共通の傾向があることからも見て取れます。シンガポール人も、100−200年前に中国本土から渡ってきた華僑の子孫たちです。ですので、元々新天地でのビジネスにチャレンジして成功者になりたい、というマインドが強い、先祖伝来の文化的背景を持っていると言えます。
一方で、欧州の人たちは、一生同じ職業を続けその道のプロフェッショナルになることを重視します。ただし日本と違うのは、その「職業の道」を極めることを目指すということで、一つの会社に居続けるということではありません。
データブック国際労働比較2019(労働政策研究・研修機構)によると、平均勤続年数は日本が12.1年であるのに対し、アメリカは4.2年、イギリスが7.9年、ドイツが10.5年となっており、その傾向を裏付けています。
それではタイの人たちの職業観はどうでしょうか?
上昇志向の強いシンガポール人と比べると、タイの人たちの考え方は2極分化されていると言えます。一つのグループは、キャリアプランを考えて、転職しながら社会でのし上がっていくことを目指している上昇志向型の人たちです。そしてもう一つのグループは、仕事は生きていくために必要なだけはするけれど、今日を快適に過ごすことが幸せであり、明日のためにあくせくと働くことは不幸だと考える人たちです。ここでは便宜的に、前者を上を目指す「タカ型社員」、後者を人生を刹那的に楽しむ「キリギリス型社員」と呼ぶことにします。
まずは、「タカ型」社員についてです。
私はタイにいた5年間で、およそ20ポジションほどの採用を行いました。そのために検討した履歴書の数はおよそ500人分、そこから選んで面接したのは200人ほどでしょうか。
それだけの数の履歴書を見れば、タイにおける転職の「当たり前」が見えてきます。
シンガポールでの私の部下の一人(前述とは別人)が、こんなことを言っていました。「大学(シンガポール経営大学)の先生に、2年に一度はキャリアを見直して転職することを考えなさい、と言われた」と。私は、大学でなんてことを教えてくれるのだと思いましたが、キャリアを2年1サイクルで考えるのが標準的な考え方だということです。
タイにおいても1社2年サイクルという考え方は同じらしく、きっちりとキャリアデザインのできている人の履歴書は、1社2−3年のサイクルになっています。人によっては「上へ上へ」と狙いすぎだと思われる人もいますが、キャリアデザインをちゃんと考えている人のキャリアパスは、垂直により高いポジションを狙う「職務充実」と、水平に仕事の幅を広げる「職務拡大」の連動も考えて、「今は将来のために職務充実を図る時期」と思えば、ポジションを上げるのではなく自分に欠けている経験を補うための転職をするというしっかり者もいます。
ある時営業担当者募集の面接に、少し話をしただけでとても優秀だとわかる女性が来ました。学歴としても、トップクラスの国立大学を優秀な成績で卒業しており、申し分ありません。気になったのは、彼女はそれまで3社で働いてきたのですが、そのどれもが一流の大企業だったことです。そこで私は「これまで大企業で働いてきて、うちのような中小企業では、福利厚生やボーナスなどの待遇は落ちるけどいいのか?」と聞きました。彼女は問題ないと言いました。なぜ大企業3社の後に中小企業に転職するのかその理由を尋ねたところ、答えは「仕事の幅を短期間で広げるため」だと答えました。大企業にいると、一つの部署の人数が多いため、一人が担当するのは狭い範囲の職務の深掘りになります。一方中小企業では全体の人数が少ないため、幅広い業務ができる。大企業でそこまで広範囲の職務経験を積むためには時間がかかりすぎるので、短期間で幅広い経験を得るために、次のキャリアとしては中小企業を目指している、というのが転職の理由だったのです。
この人たちはここまで自分のキャリアデザインを考えているのかと、私は感心しました。日本人でここまで戦略的にキャリアを積んでいっている人は少ないでしょう。そして、彼女はそう長くは在籍しないであろうことを覚悟して、採用することにしました。結果としては期待通り彼女は大変に有能で、その働きぶりは申し分ないものでした。そしてやはり当初の予想通り「この会社で学ぶべきものは学び終えた」という理由で、次のステップへと旅立っていったのでした。なんとか引き止められないかと処遇について色々と話し合ったのですが、そもそもこういう人たちを、会社にずっと引き止めることはできません。こういう人は、たとえここで上のポジションをオファーしたとしても、それも彼女にとっては人生のステップの一つにしかならないからです。マネジメントとしては、その人にずっと留まってもらえることを期待するのではなく、彼女がこれまでの他社での経験から持ってきてくれているノウハウを、いかにして会社に残していってもらえるようにするかという点に注力すべきなのです。実際、彼女が在籍していた短い期間の間に、営業部門の業務は随分とシステマチックになりました。彼女がそれまでいた大手企業3社の業務ノウハウを元に、仕事の進め方や記録の残し方の仕組みを大きく改善してくれたからです。こういったことは、ずっと同じ人が担当し続けていては起こりません。一旦確立して自分にとって不便ではない仕事のやり方を、あえて変えようとは思わないからです。このように、転職者が持っているノウハウを積極的に業務改善につなげていくことで、様々な会社のベストプラクティスを取り入れていくことができるということも、人が入れ替わっていくことのポジティブな面であると言えます。
タイと日本。給与上昇カーブの違い
タイの人たちが、キャリアプランをしっかりと考えるのには、給与の上昇カーブの違いという理由もあります。日本では、大学卒の初任給が約20万円、それから30年後に部長になった時の給料を50万円とすると、生涯で給料を2.5倍にするということになり、そのためには毎年3%ずつ昇級すればよいということになります。タイでは大卒の給料は、日本の東大に相当するようなトップ校を出ていたとしても5万円ほどで、日本人の大卒初任給の4分の1ほどです。それがキャリアを積み上げたゼネラルマネージャークラスになると40万円ほどになり、日本人の給料と大きな差はなくなります。つまり彼らは、30年間で給料を8倍にすることを目指すわけです。それを実現するためには、複利計算で年10%の上昇率をキープし続ける必要があるということになります。一方、タイにおける昇給率は、景気の良い時で4%、悪い時で3%程度です。たとえそこで頑張ってプラスの評価を得て5−6%の昇給を得たとしても、その年は、年率10%の昇級を狙っている彼らのキャリアプランの中では「我慢の年」ということになります。毎年転職を繰り返している履歴書になってしまうと、さすがに堪え性のない人間だと判断されて、雇われにくくなってしまうからです。ゆえに彼らは、2年我慢すればもう転職解禁とばかりに次を狙っていくのです。彼らは、30代前半でマネージャーの肩書きと本給5万バーツを得る、40代半ばにはゼネラルマネージャーの肩書きと本給10万バーツを得る、といった具合にキャリアプランを練っています。日本人のように、自分のキャリアプランを考えずに会社に与えられた仕事をし続けていけばポジションは後からついてくるもの、という考え方は彼らにはありません。彼らにとってポジションと給料は、貪欲に自分から取りに行くものなのです。その一方で日本の会社で可能な引き止め工作は、せいぜい評価を上げて昇給率に1−2%色をつける程度でしょうから、それは彼らの明確な人生設計の前では屁のツッパリにもならないことがお解りだと思います。
タイ人はキリギリス? でもタイでは、キリギリスは正しいのだ
さてタイ人にはもう一つのグループ、「人生今を楽しむべき」と考える人たちも多数存在します。バンコクのビジネス社会の中だけで見れば前述の「タカ型」が主流に見えますが、タイ人の全人口の中の割合で言えば、こちらの人たちの方が多数派だと言えます。
タイでもボーナスは12月に支給されることが一般的です。ボーナス支給の後に、新年の期間はそれぞれの田舎に里帰りをするのですが、正月明けに戻ってこない人がいることは、珍しいことではありません。ボーナスで現金が入ったので、とりあえず生活はできる。ならば働くのはお金を使い切ってからでもいいではないか、というのが彼らの考え方なのです。
タイでは、「新型iPhoneが発売されると失業率が上がる」と言われています。失業者の定義は「就職活動をしているけれど職を得ていない人」なので、求職活動をしていない人は失業者ではありません。新型iPhoneが発売されると、それを買うための現金が必要になり求職活動をする人が増えるので失業率が上昇する、というわけなのです。逆に言えば、特に大きな買い物をする必要がなく、食べていくだけであれば働く必要もない、ということです。
まるで「アリとキリギリス」のキリギリスのようだ、と思われるかもしれません。しかしこの寓話がタイ人の心に響くことはないでしょう。キリギリスは寒い冬が来て食べるものがなくなって死んでしまいますが、タイには冬が来ることがないからです。「キリギリスたちは働かずに遊んで暮らしていたために、冬が来て食べ物がなくなり死んでしまったのです」と言われてもタイ人にはなんのことだかわかりません。タイの食料自給率は150%を超えており、自給率30%の日本と比べると、段違いに「豊かな」国なのです。米は籾を蒔いておけば、年に3回勝手に実ります。タイの米の消費量は年間約1千万トンですが、その2倍の2千万トン近くができてしまうために、余剰の1千万トンを輸出しており、タイは世界一のコメの輸出国となっています(参考:農水省HP)。畑も、時々洪水が来て山岳地帯の養分豊富な土壌に入れ替わるために肥沃であり、雨はこれでもかというくらいたっぷり降りますから水に困ることもありません。山に入れば椰子や食べられる木の実が自生しており、寒さに震えることもありません。私の会社の隣の土地は、当初土埃舞う空き地だったのですが、3年も放置されているうちにうっそうとしたジャングルになってしまいました。中でもイサン(タイ東北部)などの田舎から出てきている人たちは、食べられる草や木をよく知っています。会社の敷地内では日本では考えられないくらいの頻度で草刈りや勝手に生えてきた木の伐採を行わなければならないのですが、その時に切らないで残された木がありました。残した理由を聞いてみると「この葉っぱ食べられるから」ということでした。そして彼らは、昼飯の時にそれをちぎってランチに加えていたのです。そもそもトムヤンクンなどのタイ料理にはつきもののレモングラスなどの香草も、家の周りに自然に生える雑草なのです。こういった気候風土においては、キリギリスが生きていくことに何の支障もありません。ですから、タイ人の考え方、人生観が「キリギリス型」になるのは自然なことなのです。
さらにタイは大変敬虔な上座部仏教(いわゆる小乗仏教)の国です。食べ物を困った人に分け与えることは当たり前の功徳です。タイ人は、あいさつがわりに「キンカーウルヤン?(もうご飯食べた?)」と聞きます。そして「まだ」となれば、「なら食べていかない?」ということになる。ですので、バンコクのような都会はともかく、田舎のコミュニティーの一員であれば、全くお金を持っていなかったとしても生きていくことはできるのです。
しかも、タイの失業率は1%程度。ほぼ完全雇用が実現されている状態で、職を探しても見つからないという心配はありません。そんな国の人々がキリギリスの心を持っていたとしても、なんら不思議ではありません。労働は最低限にして、できる限りのんびりと生きていきたいのです。タイ人には「心配をすること」は不幸なことで、「心配をしないこと」こそが幸福なのだという価値観があります。これが、転職の多いタイ人のもう一つのグループということになります。彼らにとっては、汗水垂らして労働すべきだという前提自体が「当たり前」ではないのです。
この2種類の人の違いは、履歴書を見れば一目瞭然です。前者はキャリアプランを元に積み上げられた職歴であり、後者の人の職歴は、見るからに行き当たりばったりになります。また、タイの人たちの職歴は1−2年飛んでいることも多いです。その理由を聞くと多くの場合、「親が病気になったので看病していた」というものです。その多さに最初は単にサボり癖が出たことの言い訳なのだと思っていました。しかし雇ってみると真面目に勤める人もいて、単なる言い訳とは限らないようです。親が病気になったのに子供が仕事を辞めてしまったら、どうやって食べていくのだろう?と日本人には不思議な行動なのですが、彼らにとっては、病気の親の側についていてあげることは子として当然のこと。それは仕事なんぞよりはるかに大切なことなのです。家族は掛け替えのない大切なものですが、収入などはなければないでなんとかなるという考え方なのでしょう。
タイ人は「サバーイ」のために生きている
「サバーイ」(気持ちいい・快適な)という言葉は、サワディ・カップ(こんにちは)、コップン・カップ(ありがとう)、アロイ(美味しい)などとともに、最初に覚えるタイ語のひとつだと思います。英語でいうHow are you? にあたる挨拶が「サバーイディーマイ?」(快適ですか?)であるなどタイ人はこの言葉を非常によく使いますし、お店の名前などにも頻繁に取り入れられており、タイ人にとっては非常に良い意味の言葉であることがわかります。日本人の感覚から言うと「気持ちいい」「快適」であることが素晴らしいことであるということをそこまでおおっぴらにいうのは、なんだか後ろめたいような気持ちになります。しかし、タイ人にとっては「サバーイ」は求めてしかるべきものであり、さらにいうと「サバーイ」な状態で過ごすことが人生の目的であるとすら言える、タイ人にとって最も大切なものなのです。
「マイサバーイ」(快適ではない)状態に耐えて生きていくことは、タイ人の人生観に鑑みてありえないことです。日本人であれば、「快適でないから会社を辞める」ということは、たとえ本音ではそういう部分があったとしても、堂々と言うことはあまりないと思いますが、タイ人にとっては「マイサバーイだから仕事を辞る」というのは普通の感覚です。「忍耐」は美徳であり、「我慢強く働くことが人間のあるべき姿」だというのは、日本人であれば持っている共通の了解事項であると思います。しかし、「忍耐があるべき姿」という常識はタイ人にはありません。快適ではない場所に耐えて留まることは、大げさに言えば、彼らの人生の目的に反することなのです。
「マイサバーイ」には肉体的に不快であるという場合と精神的に不快である場合がります。肉体的なマイサバーイには、暑い、疲れる、夜勤が辛い、通勤が長い、といったものがあります。これらは仕事を続けていかない理由になりますが、ここの部分は日本人でも同じ「不快」であるという感覚を共有できるので、理解がしやすいと思います。暑い国で生まれ育ったタイ人であっても、やはり暑いものは暑いのです。より大きな問題は、肉体的なマイサバーイではなく精神的なマイサバーイのほうです。こちらは日本人とは「不快」の感覚が、かなり違う部分があります。日系企業にありがちなのが「人前で怒られた」といったことで精神的に傷つけられたということです。タイ人は日本人よりはるかに、「面子」を重んじます。すべきことをしていない社員がいたとします。日本人からすると、「なぜしないのだ?」という注意をするのは当然のことです。しかしそれに対する反応がびっくりするほど激しいものであるというようなことが起きます。日本人から見ると「すべきことをしなかったのだから怒られるのは当然だ」「当然のことを言われただけなのに逆ギレした」と考えますが、彼らからしてみれば、それを「人前で言った」ということが彼らの怒りのポイントなのです。ここを理解しないと「当然のことを言っただけなのに、なぜキレる?」という日本人のポイントと、「なぜ人前で面子を潰されなければならないのだ?」という彼らの怒りの原因とがかみあわなくなるのです。彼らは「言われた内容」に反発しているのではなく「言い方」に反発しているからです。日本人には「ちょっとした注意、指導」の範囲内なのかもしれませんが、「人前で叱責された」という時点で、彼らは言われた内容など聞いてはいません。人前で叱責されたと言うこと自体に腹を立ててしまうからです。このようなことがあると、1度目は踏みとどまったとしても、積み重なると堪忍袋の尾が切れて、会社を辞めることにつながるのです。日本人から見ると、「こんな小さなことで、しかも自分が悪いのに逆ギレして会社を辞めるなんて」「成長してくれることを期待して指導してあげていたのに裏切られた」ということになりますが、タイ人の側の受け止め方は全く違うのです。よく言われることではありますが、「褒める時は人前で、叱る時は一人だけに」ということを、マネジメントとしては肝に命じておく必要があります。
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