5.なぜタイ人は、仕事をよく休むのか?     

会社を立ち上げて社員が10人になると、会社は就業規則を制定しなければなりません。このルールは日本と同じです。日本の労働基準法にあたる労働者保護法の規定に則ってて、就業規則を起案していくことになります。タイの労働関係の法律は、日本の法律を下敷きに作られていることが多いらしく、大まかな概要は日本の法律との共通点が多く見られます。日本では就業規則の制定といえば、専門の社会保険労務士さんに依頼することが多いのですが、タイには社会保険労務士にあたる人たちはいません。したがって、こういった業務も社内でこなさなければなりませんので、会社の立ち上げ時には、まずはベテランの人事労務担当者を獲得することが必要になります。

実際の就業規則の制定方法としては、まずは労働局から就業規則の雛形をもらうことから始めます。この雛形には、タイの労働法に基づいて記すべき内容が網羅されていますから、これを下敷きにしてそれぞれの会社なりにアレンジしていくことになります。

私がその作業をタイ人の人事マネージャーと行っており、有給休暇の項目に差し掛かかった時のことです。ここではまず「有給休暇」の内容を決めるのですが、日本の法律では入社半年後に10日間を与えることになっているのに対し、タイでは1年後に6日間を与えるというのが最低限となっています。「タイでは、有給休暇は日本より少ないのだな」と思ったら、それは大変な間違いでした。有給休暇の項目の後に、それとは別に「病気休暇」という項目がさらに出てきたのです。そして「病気休暇」は、30日を与えなければならないと書かれています。「えっ?有給休暇とは別に、病気休暇というものがあるの?」私は驚きました。しかも、病気の時に会社を休むことは労働者の権利なので、1年後ではなく入社直後に30日を与えなければならないのです。日本では、有給休暇というのは病気になった時に取るものだと考えている方も多いと思いますが、タイでは日本でいう「有給休暇」の他に、病気休暇という名の有給休暇が別に存在するのです。しかも、その次にさらにそれとは別に「用事休暇」というものも3日間与えなければならないとあります。役所が平日にしか開いていないことから、市役所などへ行くための休暇が別にあるのです。この「用事休暇」はこれまでも法律には記載されていたのですが、条文に「有給休暇」と明記されていなかったために、有給にしなければならないのか無休でも良いのかがはっきりしていませんでしたが、2019年の労働保護法改正で有給休暇であることが明記されました。つまり、タイでは入社したその日には有給休暇が33日与えられていることになり、年間労働日数の2割を休むことが、法律で保障されているのです。さらにさらに、兵役休暇が年間60日、法定ではないものの出家休暇が2週間など、日本では馴染みのない休暇がぞろぞろと続きます。

タイ人が会社をよく休む理由の一つめが、この法律にあります。法律では、3日連続で病気休暇を取る場合には医師の診断書を出させてもよいことになっていますが、このへんは彼らもよくわかっていますので、3日連続しては休みません。しかし1日2日であれば「体調不良」と電話をすれば病気休暇が取れてしまうわけで、中には計算して毎月2−3日ずつ休み、年間30日間の病気休暇をきっちり消化してしまう社員もいます。

こういった傾向は、前述の「キリギリス型」の人生観・仕事観を持つ人たちの一部に顕著であることは言うまでもありません。しかし「キリギリス型」ではなく、上昇志向を持った「タカ型」のタイ人社員であっても、休むべき時には休みます。タイ人にとってその「休むべき時」とは、家族のためであることが多いです。日本で「親が病気になったから病院へ連れていくために休む」という人は、よほど高齢の親でもなければ日常的ではないと思います。しかしタイ人にとっては、病気になった親を子供が連れて行かずに一人で病院へ行かせるなどということの方が、全く非常識きわまりないこと。そんな仕親不孝なことをするのは、ありえない話なのです。これは病気の時だけとは限らず、家族の都合で会社を休む、あるいは場合によっては仕事をやめてでも家族と一緒にいることを優先することは、タイ人にとっては当然のことです。日本人から見れば、家族のことでいちいち仕事を休むタイ人は無責任だと感じるかもしれません。しかしタイ人から見れば、日本人は仕事を言い訳にして、家族や社会に対する責任を果たさない、無責任きわまりない人たちということになります。それぞれの文化ですからこれはどちらが「正しい」というものではありません。しかし世界的に見れば、例えばアメリカ人でも、家族と食事をとることの方が仕事を今日中に終えることよりも優先することは当然、それができないと離婚の原因にもなるという話はよく聞きますので、「仕事だから仕方がない」が通用するのは日本だけであり、日本から一歩出れば、仕事は果たすべき責任の中の一部であるという考え方の方が一般的で、仕事一辺倒な日本人の考え方の方が世界標準からは外れていると認識すべきなのでしょう。

話は少しそれますが、タイ社会が日本よりも明らかに進んでいる面として、女性の社会進出があります。タイでは、企業や役所のトップ、責任者が女性である割合は、日本よりもはるかに高いのです。その理由の一つが、この「家族に対する責任」をみんなで果たすべきという考え方が影響しているのではないでしょうか。常に仕事が最優先されるべきという考え方の日本社会では、出産・子育てのある女性がどうしても不利になってしまいます。「仕事に集中できないなら出世を諦めるのは当然」という考え方が根強く残っているからです。しかしタイのように、家族に対する責任を皆で果たすことが当然という社会であれば、出産や子育てが不利になる影響が、ゼロとは言わないまでも日本よりは少ないのではないかと考えられます。

日本では、小さい子供を持つお母さんがフルタイムで働くためには、保育園に子供を預ける必要があります。そして、保育園に入りたくても入れない、待機児童が多いと言う問題が、女性の社会進出の妨げになっているという大きな社会的課題があります。それでは、女性の社会進出が進んでいるタイでは、日本よりも素晴らしい保育園の仕組みが整っているのかというと、そうではありません。子供の面倒は、親の両親や周りの人たちが面倒を見るのが当然で、さらに家族が必要とする時には仕事を休むことに寛容なタイという社会の常識が、女性が当たり前のように男性と同じ土俵で働き、母親であることがハンディキャップになりにくい社会を作り出しているのではないでしょうか。

中小企業診断士

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