7.なぜタイ人は、時間にルーズなのか?

「タイ人は、時間を守る人たちだ」と言ったら、皆さんはどう思われるでしょうか?「この著者は、タイに5年もいて頭がおかしくなったのではないか?」と思われる方が多いのではないかと思います。約束した時間を守らない、平気で遅刻する。遅刻してきたくせに謝りもしないのがタイ人、というのが、皆さんの共通認識だと思います。

それでは当のタイ人に「あなたは時間を守りますか?」と聞いてみたらどう答えるでしょうか。おそらくほとんどのタイ人は「当然です。時間を守っています」と答えるのではないかと思うのです。日本人は、タイ人は時間を守らないと思う。でもタイ人自身は時間を守っていると思っている。そこには認識のズレはどこからくるのでしょうか?

その答えを探るために、もう少し細かく確認してみましょう。例えば、朝10時にあなたのオフィスに来客の予定があるとします。その時に、もし来客が10時15分にやってきたとしたら、それは時間を守ったと言えるでしょうか? 遅刻ですよね。それでは10時10分なら?10時5分ではいかがでしょうか?日本人のあなたにとっては、どれも「遅刻」なのだと思います。

これが、タイ人同士であればどうでしょうか?おそらくほとんどのタイ人にとっては、どれも「時間通り」と答えるのではないかと思います。そうなのです。彼らは時間を守っているのかいないのかといえば、「守っている」のです。ただ日本人とは「時間を守る」の基準となる許容範囲に対する認識に違いがあるだけなのです。

日本人同士であっても、時間の許容範囲は人によって違います。私は以前、当時の上司と出張に行った時に、朝ホテルのロビーで集合したのですが、集合時間の2分前に行ったら「遅い!いつまで待たせるんだ!」と叱られたことがありました。どうやら彼は、集合時間の30分前に来て、イライラしながら待っていたようなのです。それを聞いて「こちらは時間通りに来た。自分で勝手に早く来ておきながら怒るなんて、なんて上司だ!」と腹が立ったのですが、彼は彼で「上司と待ち合わせるのに時間ギリギリに来るべきではない」という彼なりの「あるべき姿」があったのだと思います。このように、ひとそれぞれ「こうあるべき」という行動の規範を持っており、その「自分の持っている行動規範」から相手が外れると、そこに怒りの感情が湧いてくるのです。日本人同士でも行動規範が違うのですから、まして文化の違う人たち同士であれば、時間の許容範囲に大きな違いがあって当然です。「時間を守らなければならない」という認識は、タイ人も共通なのです。日本人とタイ人には、どの範囲内を「時間通り」とするのかの認識の違いがあるだけなのです。

日本人は「こうすべき」「こういう行動はとってはならない」という行動の規範を強く持っています。日本人の統制のとれた行動は、例えば震災などの極限状態にあってさえも略奪などの行動が全く発生しない、新型コロナウィルスの蔓延時にも、法的な強制力を持たない自粛要請などにもちゃんと従う、などという素晴らしい、世界的にも稀有な国民的資質と言えます。しかしこの日本人の持つ強力な行動規範は逆に、新型コロナウィルスの蔓延時に「自粛警察」というのが社会問題になったり、過去の戦争に至る道の中での日本人の行動にも反省すべき点があったように、「こうあるべき」を人にも押し付けることのよる弊害を起こすことにもつながり、これは日本人の持つ美点の裏返しとしての欠点にもなりえる日本人の特質なのです。

日本人は、自分の持っている行動規範を相手も持っているはずという前提で行動しています。しかしタイ人は「相手が自分と同じ行動規範(文化)を持っているとは限らない。相手の行動規範が自分の行動規範と違っていても、それは当然のこと」という前提で考えています。日本人の持つこの特質は、日本という国の、島国の単一民族、世界最長の歴史を持つ皇室のもとで共通の歴史を刻んできたという、世界的に見て非常に珍しい民族の環境が影響しているのだと思います。それと比べると世界の多くの国々、特にタイのように大陸の一部で多くの他民族と国境を接して生きてきた民族であれば、好むと好まざるにかかわらず、他民族との文化的軋轢に晒されながら刻んできたという歴史を持っています。相手の文化が自分の文化とは違うということを前提で生活しているので、たとえば自分が「約束の時間の5分前に到着すべき」という行動規範を持っており、相手が「20分程度は時間通り」という行動規範を持っていたとしても、その違いを認めると言う柔軟な考え方を持っているのです。

日本人であればこのような時に「遅刻は許されない。2度と起こさないように厳重注意すべき」だと考えると思います。しかしいきなり「遅刻するな!」と怒鳴りつけたとしても、相手がそれを遅刻だとは思っていなければ、話は通じません。相手は「なぜこの人は腹を立てているのだろう?虫の居所が悪いのだろうか?」と思われ「このような怒りっぽい人とは今後付き合うのはやめよう」と思われてしまうかもしれません。こちらはこちらで、「こいつは遅刻してきながら謝りもしない。とんでもないやつだ」と相手を判断しているので、文化的すれ違いが最悪の結果を生むパターンが発生していると言えるでしょう。それではこう言う場合にはどうするべきなのでしょうか?もしあなたが相手の行動を許容せず修正を求めるのであれば、「これからは、約束の時間の5分前に来てくれ」というように、自分の持っている行動規範を具体的に伝えるべきなのです。そうすれば「この人の言っている10時のアポイントメントとは、9時55分に到着することを意味しているのだ」ということがわかりますので、この人は次回のアポイントメントからは9時55分に現れると思います。このように、相手の行動規範は自分の行動規範とは違うと言う前提で、行動規範の違いを許容しても良い部分は許容する、自分の行動規範にあわせてもらいたい時には自分の行動規範を具体的に指示するということが、異文化コミュニケーションの基本となります。

自分の許容範囲と相手の許容範囲

日本人の「直線的な時間」とタイ人の「柔軟な時間」

タイ人と日本人では「時間通り」であるという時間の許容範囲が違うというお話をしました。それではタイ人の許容範囲は、世界的見ると特に幅が広いのでしょうか?

私は世界の多くの国でのビジネスを経験してきましたが、その経験に照らすと、タイ人の時間の許容範囲は、厳格さで知られるドイツ人よりは広いことは間違い無いでしょう。しかし、インドや中近東、中南米の人たちよりは、タイ人の方が時間に正確というのが私の感覚です。世界の中でも熱帯地域の国々は時間感覚のゆるい国が多い傾向があります。タイは、シンガポールという奇跡的な例外を除けば、熱帯地域の国の中ではの中では比較的ましな方ではないかと思います。では日本人はどうかというと、これは世界一時間に「厳しい」国民であることは間違いないでしょう。電車を秒刻みのダイヤで走らせ、しかも1分遅れるとお詫びのアナウンスが入ると言うのは、日本以外の国では冗談でしかありません。日本航空や全日空の定時発着率が常に世界の航空会社の中でもトップクラスであり続けていたり、ロケットをスケジュール通りに打ち上げることができるのは、日本人の持つ特異な能力だと思います。そしてその能力は、スケジュールを守ることを何よりも重視するという日本人の物事への優先順位の持ち方から培われているのでしょう。

こういった、世界に人たちの時間感覚に対する認識は、私の経験からきているものであり、私のこの認識が客観的に正しいものなのか、裏付けとなるデータを見たことはありませんでした。しかし、バンコクで開催された日本の銀行が主催した勉強会で、経営コンサルタントのガンタトーン・ワンナナス先生のお話を伺った時に「カルチャーマップ」という資料を使われていたのを拝見し「我が意を得たり」との感覚を得ました。そこには、長年私が感覚的に思っていた、世界の人たちの時間感覚が、マップとして表現されていたのです。

<参考文献:エリン・メイヤー「The Culture Map 異文化理解力」>

この「カルチャーマップ」は、アメリカ人のビジネススクール教授であるエリン・メイヤー氏が世界のビジネス環境における文化の違いを研究する中で開発されたもので、その著書である「異文化理解力」に表されているものです。ここでは世界のビジネス環境における文化の違いを8つの指標で表現しているのですが、その一つが、「スケジューリングにおける直線的な時間と柔軟な時間」という軸にあらわされる指標です。ここでの軸の定義を引用してみますと、

「直線的な時間」プロジェクトは直線的なものとして捉えられ、ひとつの作業が終わったら次の作業へと進む。一度に一つずつ、邪魔は入らない。重要なのは締め切りでスケジュール通りに進むこと、柔軟性ではなく組織性や迅速さに価値が置かれる。

「柔軟な時間」プロジェクトは流動的なものと捉えられ、場当たり的に作業を進める。様々なことが同時に進行し邪魔が入っても受け入れられる。大切なのは順応性であり、組織性よりは柔軟性に価値が置かれる。

となっています。

この指標において、日本はドイツやスイスとともに、最も「直線的な時間」よりにポジションしています。そして北欧諸国、英国、アメリカがそれに続きます。そしてフランス、スペイン、イタリアといったラテン系の欧州各国がその次に位置します。そして世界の中で最も「柔軟な時間」寄りに位置するのはアフリカ諸国、インド、中国、中南米諸国です。このチャートでタイは、中近東アフリカ諸国ほどではないにせよ、中国などと並んでチャートの「柔軟な時間」寄りにポジションしています。

全体的に見ると、この時間感覚の違いを生じている要因は、気候条件と主力とする産業の違いだと考えられます。気候条件として寒い冬が来るエリアの国々は「直線的」な時間を持っていて、常夏の熱帯地域の国々は「柔軟な」時間を持っている、そして高度に工業化されている国々は「直線的」な時間を持っており、農業中心の国々は「柔軟な」時間を持っている傾向があることがわかります。寒い冬が来る地域が「直線的な時間」を持っていて、常夏の国が「柔軟な時間」を持っているのは、「タイ人はなぜ計画性がないのか?」の項で述べたのと同じ要因であると考えられます。そして、農業中心の文化と工業中心の文化では、農業は「人間の決めた時間」ではなく「自然の状況に応じて、起きていることに対応して柔軟に行動する」ことが求められているのに対し、工業化が進めば進むほど、始業時間に全員が揃っている、スケジュール通りに進めて納期を遵守する、といったことの必要性が増してくるからだと考えられます。

日本人も、江戸時代にはかなり「柔軟な時間」での生活を送っていたことが、江戸末期の欧米人の記述からわかっています。であれば、日本人が厳格な時間感覚を身につけたのは、明治以降ということになります。日本人やドイツ人、スイス人、英国人などは、工業化の進展の過程の中で、「直線的な時間」の価値が増すことで、その民族性が形成されていったのだと考えられます。それと比べるとタイは、工業化の歴史がまだ浅く、農業的あるいは狩猟民族的な「起きている状況に対して臨機応変に対応する」ことの価値が重視された文化が根強く残っているのでしょう。日本人から見ると全く厳格ではないタイ人の時間感覚ですが、それでもラオス・ミャンマー・カンボジアといった周辺の国々の人たちと比べれば、それでもはるかに厳格なのです。工業化の進展に伴って、どんどん厳格になっていっているのだと思われます。それでも、世界で最も厳格な、悪い言い方をすれば「心の狭い」時間感覚を持っている日本人から見ると「緩すぎる」ように見えると思いますが、必ずしも日本人と同じ感覚を持つことが正しいこととは限らないと思います。バンコクは、世界でも名だたる渋滞の激しい都市です。そのバンコクの中心部で絶対に1分も遅れないように移動しようとすれば、ちょっとした距離であっても1時間以上の余裕を見ておく必要があるのは皆さんご存知の通りだと思います。しかしそれは本当に、効率的な時間の使い方であると言えるのでしょうか? むしろ逆に、とんでもない「時間の無駄」を許容しているということにもなります。毎回1時間以上の時間を無駄にしながら、アポイントメントに1分の遅れないことが、果たして正しいことなのか?タイ人を見習って許容範囲を広げる方が、効率的なのではないのか?と私も思うことがあります。

中小企業診断士

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